現代の人々は、「Google」を代表とする検索エンジンによって、常にオンライン情報とつながっています。
何かを知りたいと思ったときに、ネット検索を利用するのは、もはや当たり前のことでしょう。
しかし、テキサス大学オースティン校(UT Austin)の新しい研究は、そのために多くの人々は内部知識と外部知識の境界が曖昧になっていると報告しています。
現代の人々は、自分が実際に見つけ体験し、頭で考えたことと、ネット検索で得た知識の見分けがつかなくなっており、インターネットなしで自分がどれだけ知識を持っているかについて、正しい評価ができなくなっているというのです。
この研究の詳細は、10月26日付で学術誌『米国科学アカデミー紀要 (PNAS)』に掲載されています。
「無知の知」を忘れた現代人
かつて古代ギリシアの哲学者ソクラテスは「無知の知」という考え方の重要性を説きました。
これは「自分がいかに何も知らないかについて自覚しなさい」という意味です。
なにかを「知らない」人よりも、自分が「知らないことをわかっていない」人の方が、はるかに愚か者だとソクラテスは考えていたのです。
このため、ソクラテスは人々に自分がいかに無知であるか自覚させるために、通行人を質問攻めにして、答えられないと「ほら、お前は無知だ」とイチャモンをつけて回りました。
そのせいで、彼は迷惑者として処刑されてしまいますが、現代のネット上でソクラテスがこんな活動をしても、なかなかうまくはいかないかもしれません。
なぜなら、現代の人々は知らない知識に出会ったとき、すぐにネット検索して答えを見つけ出してしまうからです。
Googleに代表される検索エンジンを使えば、読めない漢字の読みから立秋が何月何日か、マイルとキロメートルの変換まで、あらゆる質問の答えが即座に出てきます。
これによって、私たちはなんでも知っているような気分になれます。
しかし、インターネットとの接続を断たれても、これらの質問に答えられる人はどれだけいるでしょうか?
古来より、人間が知識を得るためには、他者によって蓄えられてきた書物など外部の知識に頼る必要がありました。
しかし、オンライン検索は自身の思考と外部の情報とのインタフェースが非常に迅速であり、かつシームレスです。
今回の研究を行ったテキサス大学オースティン校のエイドリアン・ワード(Adrian Ward)助教授は次のように述べています。
「Googleがあまりにも速いので、私たちは自分が何を知っていて何を知らないのかを考える機会がないのです」
また、多いのが自分の曖昧な記憶をGoogle検索で補うという行為です。
有名人の名前や作品タイトル、細かい数値情報など明確に思い出せないことがあっても、「あれなんだったっけ?」と検索をかけることで「ああ、そうだった」という感じに正確な情報を見つけ出すことができます。
このプロセスは、自分の記憶に検索をかけているように錯覚されるため、余計に人はネットの情報と自分の頭の中の情報を混同してしまうようになるのです。
では、実際に人々はどの程度、ネットの情報と自分の知識を混同しているのでしょうか?
これを確かめるため、ワード助教授はいくつかの実験を行いました。
自分の知性の誤認
ワード助教授が行った1つ目の実験では、参加者に10の一般的な知識に関するテストを行いました。
このテストでは、自力回答するグループと、オンライン検索を使用するグループに分けて行われました。
当然、オンライン検索を利用した被験者はいいスコアを出しました。
そして、彼らはその後のアンケートでも、自分がオンラインを使って情報を見つけ出す能力や、自分自身の記憶力について高い自信を示していることもわかりました。
その後、今度は同じ10の一般的な知識に関するテストを、ネット検索などを使わずに自力で回答してくださいと被験者に要請しました。
このテストの前にワード助教授は、被験者に「ネット(外部の情報源)を使わずにどれだけ正解できると思うか?」という予測を被験者自身にしてもらいました。
最初のテストでネット検索を利用した被験者は、1回目のテストの成績が良かったため、将来自分の記憶のみに頼らざるを得なくなったとしても、問題はないと考えていました。
つまり最初のテストのパフォーマンスが、Google検索のおかげではなく、自分の知識のおかげだと考えていたのです。
この効果は、2つ目の実験で明確に説明することができました。
2つ目の実験では、同じテストを、自力回答するグループと、検索結果が25秒遅れるというGoogle検索を使ったグループで実施しました。
すると、「遅いGoogle」を使ったグループは、アンケートにおいて自分の内部知識に自身が持てなくなり、後のテスト成績を予測してもらった場合も、高い成績を出すと考えることができなくなったのです。
検索速度が落ちたことで、彼らは知識がどこに帰属するものかを、より明確に意識できるようになったのです。
これは、応答速度の早いネット検索が、外部と内部の知識の境界を曖昧にしていることを示唆しています。
最後にワード助教授は、50の問題のテストを、Google検索かWikipedia、どちらかを使って回答してもらうという実験を行いました。
この実験では、回答後にテストで答えた50の質問に加えて、新たに20の質問を加えた問題集を見せて、被験者に「自力で回答した問題」か、「ネット検索を利用して回答した問題」か、あるいは「初めて見る問題」かを判別してもらいました。
すると、Google検索を使った人たちは、どうやってその問題を回答したかについて正確に記憶しておらず、ほとんど自力回答したと答えたのです。
つまり、「人々は質問をググったことさえ忘れていたのです」とワード氏は驚きを語っています。
この場合、Wikipediaでは文脈情報が追加されるため、情報を消化するためにより多くの時間が必要だったことが、人々の知識の境界を区別するのに役立っていたと考えられます。
インターネットの初期開発に貢献したダグラス・エンゲルバートは、技術者のヴァネヴァー・ブッシュが未来を予想したSF的な内容の論文の中でみつけた、誰でも知識を簡単に入手できる「memex」という情報検索システムに触発されて、インターネットの概念を思いついたと語っています。
インターネットは、まさに初期の開発者たちが想定していた通りに実現され社会で機能しています。
それは多くの科学者や人類が望んでいたものですが、しかしこのシステムに頼り切りになることの弊害を、今回の研究は訴えています。
このことは、意思決定に影響を与える可能性があるとワード助教授は言います。
「インターネットの利用で知識が増えたように錯覚してしまうと、医療上の判断やリスクの高い金融上の判断をする際に直感に頼ってしまうかもしれませんし、科学や政治に対する自分の見解にさらに固執してしまうかもしれません」
これは教育にも影響する話だと、さらにワード氏は付け加えています。
「学生は、すでに自分に知識が十分あると感じていれば、知識を得るために費やす時間やエネルギーは少なくなるかもしれません。
もっと広く言えば、教育者や政策立案者は、教育を受けるということの意味を再考する必要があるかもしれません」
人々の知性を拡張するために生まれたインターネット。
しかし、それが人々の知性を減退させては元も子もありません。
無知の知を忘れないようにGoogle検索は利用しましょう。
引用元:https://nazology.net/archives/99159,https://nazology.net/archives/99159/2
参考文献:We’re Not as Smart as Google Makes Us Think We Arehttps://medium.com/texas-mccombs/were-not-as-smart-as-google-makes-us-think-we-are-57ebeebbf135Do you think with Google? People who use the search engine to find answers think they’re smarter because they mistake the internet’s knowledge for their own memoryhttps://www.dailymail.co.uk/sciencetech/article-10145245/People-Google-think-theyre-smarter-really-study-shows.html?ns_mchannel=rss&ns_campaign=1490&ito=1490